分からないものは分からないのである

私がやりたい事はなんだろう。

今年に入りこの悩みをとにかく抱えている。


何がやりたいのか、そしてどんな自分になりたいのか。

分からないまま今年も3ヶ月が過ぎようとしている。


性格的に頑固だという事は自分でも分かっているつもりだ。

頑固ゆえに、私はブログを続けている。


もはや楽しいから書いているのではなく、義務的な感覚で書いているに過ぎない。

初めてのうちは書いていて楽しかった。

しかし途中からアフィリエイター界隈などを見るうちに、「あぁ、これじゃないんだよな。」という気持ちが強くなってきた。

頑固な性格にも繋がっているが、やるからにはトップになりたい。

この気持ちは変わらない。

なのでやると決めたからには全力で勝ちに行く。

しかしこれは勝ち目のある時にしかしない決断だ。

故に私は安全思考よりの人間と言えるだろう。

リスクは基本的に避け、勝てると思う領域に全力でベットする。

それが私という人間のスタイルだ。


ブログを初めて100記事に到達しようとしているが、私は何が書きたいのか分からなくなっている。

最近特にそれは顕著だ。

全力でトップを狙いに行くならアフィリエイト系の記事を書きまくるだろう。(ここでいうトップとはブログで稼ぐ額の事を指している)

しかしここで私はいつも立ち止まる。


私がやりたい事はこれなのだろうかと。

しかしこれは逃げなのではないかと感じる時もある。

結局何に重きを置いているのか分からなくなっている状況が今である。


ここで始めのトピックに戻ろう。

私は何がやりたいのか。

表向きには何とでも強く言える。


しかしいざ自らの心に手を当ててみると、結局のところそれは分からない。

答えが出てこないのである。


多くの方から「みんなそんなもんだから」と言われるが、私は納得がいかない。

それは頑固だからである。

納得いくまで考えたいし、納得いかないものに全力投球はできない。

故にこれまでの人生、私は主体的に行動してきたことが少ない気がする。

勿論トップに立って物事を推進させた経験はあるが、それらは全て自分が本当にやりたいことだったのかと聞かれれば疑問である。


今までの私は、「これは何か将来役に立つかもしれない」

という明確な指標がないまま物事の意思決定をしてきた。

そのツケが今、こうして目の前に立ち塞がっているのである。


私は何がやりたいのだろうか。

昔から漠然とやりたいと思っていたブログには手を出した。

残すところは「ゲーム配信者」「加藤純一のような配信者」「プログラミング」「マーケティング」「ファイナンス」

くらいである。(くらいにしては多すぎるかもしれないが...)

しかしこれも本当にやりたいことなのかは分からない。

結局のところ体験してみないと分からないからだ。

なのでひとまずやってみることにする。

ブログは頑固なので続けるかもしれないが、時間的にも限界があるのでいつかは切る時が来るかもしれない。


ブログに頑固になる理由はもう一つある。

これは言い換えるとただの頑固だと言われるかもしれないが、私は発言に対して責任を取りたいタイプなのである。


今年の初めに私は1年間ブログを毎日更新すると述べた。

当事者である私は鮮明に覚えている。

また、もしかすると私以外でも覚えている人がいるかもしない。

私の単なるエゴかもしれないが、もし他の誰かが覚えていて、私が1年間更新し続ける事を期待している人がいたらどう思うだろうか。


私はブログの更新をやめた時、自分自身だけではなく、その人の事も無意識の内に裏切ることになっているのである。

私は人から裏切られることが1番嫌いだが、見ず知らずの誰かの期待を裏切ることも嫌いだ。

単なる自意識過剰やろうと思われてもそれはしょうがない事である。

だがしかし、私はそういう人間なのである。

思い込みが激しすぎる人間なのかもしれない。

だがしかし、私自身この性格に救われてきたところもある。

変に自らにプレッシャーをかけまくるのに慣れているせいか、本番にはかなり強いタイプに仕上がっている。

常日頃自分という人間に期待しているからこそ起こる特有の現象かもしれない。

これについて共感していただける人がいたら是非とも直接お話をしたいところである。

きっと3時間は喫茶店で話し続けることができるだろう。


私は自分という人間がどのような人間なのか、主観的に見る事がものすごく好きである。

しかしそれ故に、私は客観的な評価をいつも疎かにする。(自分自身で客観的に見る事も大事にしているが、きっとそれは主観的であると私は考えている。)


私はオシャレというものが分からない。

オシャレにも主観的な評価もあるかもしれないが、私はオシャレという言葉を聞くと、どうもそれは客観的評価なもののように聞こえる。

人から服装についてどう思われようが私には関係ないし、私は私なのである。

故にオシャレはよく分からない。

しかしこれは自らをオシャレではないとして、自らの評価を自己防衛している、言わば他者からの目線をものすごく気にしていると捉える事もできる。


もしかすると私は物凄いエゴイストなのかもしれない。

これは否定できない。

ここまでのエゴイストに仕上がったのも、ただの寂しがり屋でかまちょなだけかもしれない。


そしてあえてこのようなネガティブな印象を事前に発するのも、誰かに後から指摘されるのを嫌がり、「俺も元からそんな事分かってるし〜」と変に強がりたいからなのかもしれない。


私は頑固で強がりでプライドが高くて臆病で弱い。

私は弱い人間なのである。

弱いが故に、私はやりたい事が分からない。


そして私は他人のやっている事を羨ましく思う、恐ろしいほど滑稽な人間なのである。


夢に向かって一直線

私はそんな人達を心から尊敬すると共に、羨ましく思う。


私も、そのような姿を見せようと思えばいくらでも見せる事ができる。

事実私はそうして過ごしてきた部分もある。

しかし今こうして「やりたいことって結局何なんだろう」と1人で考える時間が増えた時、ボロが出てくるのである。


内省しても内省しても、結局のところ何がやりたいのか。

いくら誰に聞いても分からないのである。


「そんなのみんなそうだから」

やはり私は納得ができないのである。

どうしても私は納得できる答えを見つけたい。

それを探しに、私は今日も足掻くのである。

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