【イップス】という名の地獄-vol.2

前回の記事では、野球が大好きだったこと、そしてその中でも特にボールを投げることが好きだったことをお話ししました。

今回からはそれらの話を踏まえ、イップスを患うきっかけになった出来事の前段階を説明します。


前回の記事の最後に、「当時のこの決断が、後に大きな後悔を引き起こす1つのきっかけとなります。」と書いたのを覚えているでしょうか。


本記事では、その点が少し分かってくるかと思います。



では、ここから本編に入ります。

高校入学

自宅から自転車で30分程度の私立高校に、野球部の特待生(学費とか減免になるやつ)として入学しました。

野球部の実力も、毎年県ベスト4〜16には入るレベルだったので練習内容も当然厳しく、入学してくる生徒や部内での上下関係も厳しいものでありました。(個人的な意見です。)


ちなみに、基本的にはシニアやボーイズ上がりのメンバーがほとんどであり、中学軟式上がりの生徒はほんの一部でした。


そして始まった練習。

シニアやボーイズ上がりの同級生と比べて全く体力のなかった私は、ランニングメニューや体幹メニューで地獄を味わっていました。

また軟式上がりという事から、硬式球を使った練習メニューには入れてもらうことができず、毎日遠投で硬式球に慣れる練習だけをしていました。(しかしこの時は、野球ができなくても、遠投できているだけで毎日が楽しかったのです...)

楽しかった頃

野球部での練習を本格的に始めてから約1ヶ月が経過し、遂にブルペンでのピッチング練習が許可されるようになりました。


「遂に自分の実力を披露できる時がきた。」

そう喜んでいた私は、先輩の捕手の方とほぼ毎日ピッチング練習をしていました。

また、わりかし球速が出ていた事もあり、多くの先輩や同級生に見られながらピッチングをしていた記憶があります。(今振り返ると、かなり力んでピッチングしていた気がする。)



そんなこんなで毎日楽しみながらピッチング練習をしていたある日の事です。

監督から、同級生で投手のO君と一緒に監督室に来るよう呼ばれました。

「なんかやらかしたっけ。」

ビクビクしながらも、恐る恐る監督室に向いました。


監督室に入り、監督から放たれた第一声は

「夏のメンバーに入れるつもりでいる。」

でした。

高校野球を知らない方への補足

高校野球を知らない方に補足として、高校野球では主に

①「選抜高等学校野球大会(俗にいうセンバツ春の甲子園)」
②「春大(夏大のシードを決める大会)」
③「夏大(優勝すれば甲子園に参加できる大会)」
④「全国高等学校野球選手権大会(俗にいう夏の甲子園)」
⑤「秋大(優勝相当の成績を残せばセンバツ出場の可能性が出る大会)」
⑥「明治神宮野球大会(秋大で全国から勝ち上がったチームによる優勝決定戦)」

これら6つの主要な大会があります。
詳しくいうと関東大会などや地方大会、国体などもありますが、特に重要になるのが上述した6つの大会です。

新入生が1番始めに出られる大会は②からですが、基本は③の夏大からが一般的です。

監督から夏大に出すつもりでいると言われた私はとても興奮し、より一層練習に励むようになりました。(これが後に、今でも後悔している悲劇を引き起こす事になります。)

そして、監督に対し絶対的な信頼を抱く事になります。
何故なら、軟式上がりで、尚且つ中学時代無名だった私を、1年生の夏からいきなりベンチに入れてくれようとしていたのです。


当時高校生の私は、そんな監督を心の底から信用するようになります。


そしてここからが、真の地獄の始まりとなるのです。

最後に

遂に次回から、イップスを患うきっかけになる出来事に突入します。

この記事を書いてて思うのが、イップスを患う前と後とでは、野球に対する印象が全く違うという事。

この頃は本当に毎日が楽しく、充実していました。

また、「当たり前にボールを投げられる喜び」など感じた事もありませんでした。


過去は変えられませんが、あの時ああしておけばまた違ったのかもしれないと、この件に関してだけは後悔が止まりません。


次回の記事では、それらの点にも触れながら説明していきます。

お楽しみに。



では、本記事はここまでにします。


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