【自分史】10歳編

今回は10歳の自分を振り返っていきます!

10歳といえば体育の授業での骨折が印象的ですね。

また、この時期も9歳の頃と同じく、野球とゲームにどっぷりハマっていました。

特に、PSPを購入して楽しんでいたモンハン2ndGや、親友の家で遊んだFSPゲームなど。

今でも鮮明に思いだせる色濃い思い出がたくさん詰まっているのが10歳です!

そして初めても告白も実はこの時に...


といった感じで、10歳の頃を振り返っていきたいと思います!



【自分史】0歳〜3歳編
【自分史】4歳編
【自分史】5歳編
【自分史】6歳編
【自分史】7歳編
【自分史】8歳編
【自分史】9歳編


さて、今回も前回と同様、昔の自分を振り返ってみたいと思います。

10歳

「骨折」

しょうもないですが、これが1番の出来事でした笑

骨折。

忘れもしませんね。

体育の授業でI君の全力ダッシュと私の腕が衝突し、竹の串骨折しました。(正式名称は「竹節骨折」というのですが、お医者さんが竹の串骨折と言っていた記憶が強く、今でもこの名前で記憶しています。笑)


骨折した際の感覚は今でも覚えていて、全く左腕に力が入らなかったんですよね。(利き腕じゃない方の骨折で本当に良かったです笑)

そして少しでも動かすと激痛が走りました。


ちなみにその場では骨折している事に全く気付かず、家に帰っても痛みが治らないので病院に行ってみた結果、初めてそこで発覚したという...笑


骨折が発覚した後は、腕を固定するギブスを作成し、腕に装着しました。(一切動かす事のできない強固なやつで、一度つけると病院以外で外せない仕組みになっていました。)


ここからの生活がまぁ大変で、風呂に入る際には腕に袋を被せて濡れないようにし、風呂以外でも左腕を汚さないよう意識して過ごしていました。
(当時昼休みに流行っていたドッチボールや野球に参加する事ができなかったのはとても辛かったなぁ...)


そしてなんと言っても、このギプスが臭いのなんの。


臭すぎて一刻も早くギプスを取りたいあまり、牛乳を飲みまくった記憶があります。(確かこの当時1番身長が伸びた気がする...)


ちなみに私、臭いに対してものすごく敏感なんですけど、もしかするとこの経験から人一倍臭いに敏感になったのかもしれないです...

身の周りでの出来事

骨折が直った後、校舎の裏庭で遊んでいた際に窓ガラスを思いっきり割った記憶があります。
(初・ガラス割り事件ですね。)

その他にも、家族と一緒に埼玉県北部限定で販売されている「メロディー米」というお米を買いにいった記憶もあります。
確か社会か何かの授業でお米に関する宿題が出たのですが、わざわざその為に家族総出で出掛けたんですよね笑


あと、なぜか学校関連の事をものすごく覚えていて、放課後の学校主催のクラブ活動(毎週木曜日の放課後に実施)では、ソフトボールクラブに入っていました。

4年生以上の生徒は入る事が義務付けられており、楽しみにしていたのですが、先輩たちが怖く、なかなか思うように野球を楽しむ事はできませんでした...


その他にも、なぜかSさんが書いた俳句(5・7・5)が今でもものすごく記憶に残っているんですよね。
ちなみにその俳句はこちら。


「繭の中、蚕はどんな、夢見てる」


当時、蚕農家のご自宅に社会科見学したのですが、その後にSさんはこの俳句を発表し、確か何かしらの賞を受賞していました。(余談ですが、この蚕農家は後に、とある火災に巻き込まれることになります。)



さて、話は急に変わりますが、この年は人生で初めて告白をした年でありました。(告白と言えるか分からないが...)


初めて好きになった女の子はSさんという方で、スポーツをしている姿がとても美しく、その中でも特に眼元が好きだった記憶があります。

当時の私はそんな彼女に対し、色紙上(クラスのみんなからの寄せ書きを書くやつ)に「好きです」と書くという、なんとも信じられない行動で告白をしたのです。


今思い返しても信じられないんですが、クラスの全員が見るSさんへの色紙に、私は「好きです」と書いたのです。まじで謎です。


しかも、直接ではなく紙を通して告白するあたり、当時の自分がいかにチキンだったのかを物語っているような気がします...


ちなみにその返事は...

好きだった事

野球とゲームは本当に大好きでした。

言わずもがな、学校の休み時間では毎日野球。そして放課後も陸橋下のグラウンドや、公園などでキャッチボールをしていました。

当時は確か、HR競争などもして、よく近隣住民の人たちに怒られてましたね...

野球の他にも、公園全体を使った鬼ごっこや、自転車を使った町内鬼ごっこなども行いました。(今思えば、自転車を使った町内鬼ごっこが人生で1番楽しかったかも。)


また、もちろんゲームにもどっぷりハマっていて、親友の家に泊まり込みでモンハン合宿なども行っていました。

モンハン合宿というか、ゲーム合宿って楽しいなぁと。

好きな友達と、好きなゲームで1日中遊べるって神じゃないですか??

もう本当に最高でした。


ちなみにこの頃は、Sくんという友達の家でパワプロポケット10のサクセスストーリーもやり込んでました。

基本ゲームで遊ぶ時は友達の家が多く、自宅は母が厳しかったことからほとんど友達を呼んだ事がありませんでした...


「野球」と「ゲーム」

こんな面白いものに出会えた私は幸せ者です。




めちゃくちゃ話は変わりますが、当時「もの」を燃やす事が大好きで、よく隣の祖父宅で枯れ木などを燃やしていました。
また、休みの日には父と軽トラで畑まで行き、ガソリンがどれほど燃えるのか実験をしたりしました。

結論から言うと、ガゾリンって実はあんまり燃えないんですよね。
燃えるっちゃ燃えるんですが、それは一時的な「ドーン」といった感じで、一瞬派手なだけと言う感じでした。


また畑繋がりでいうと、この年は「裸足で栗畑を疾走する」という愚行を犯しまして、大泣きした事を覚えています。

よくよく考えれば、足の裏に栗のトゲが刺さって痛いって事が分かるじゃないですか。

けど当時の私は、そんなことも考えられないほど行き当たりばったりな生活を送っていたのです!



またその他にこの頃記憶に残っている事としては、従姉妹と遊ぶ事が楽しかったのを覚えています。

従姉妹とはよくゲームをしながら遊んでいたんですが、お互いシャイな性格からか、なかなか会話をせず、何か事が起きるまで1時間以上は毎回かかっていたと思います笑


シャイかつおとなしい性格も、この頃からだったんですね〜。

嫌いだった事

字を書く事が嫌いだったのを鮮明に覚えています。

特に書道の授業が嫌いで、夏休みの宿題も書道だけが本当に嫌でした。

字が上手くなかったからという理由ももちろんあるんですが、書道や硬筆って、一度間違えたら全て初めからやり直しじゃないですか。

いわばセーブ機能のないRPGゲームのような感覚で、そんなの私には到底耐えられるものではありませんでした。

こんな背景もあり、私は字を書く事が本当に好きになれませんでした。


その他には...


不思議なんですよね。なぜか全く出てこないんです。

小学校最高。万歳。

母親談

三年生の後半あたりから郁と仲良くなって、四年生でも同じクラスでやっと「仲の良い友達」ができ、一輝らしさが出てきた。
段々調子に乗り過ぎる様な事も出てきて、良くも悪くも男の子らしさが出てきた頃。


お父さんの記憶ではこの頃の一輝は 答え(正解)のある問題を解くのが大好きでその事に燃えていた印象が強いって。ソロバンとか算数とか。逆に自分の意思が答えになるもの(感想文とか)が苦手で嫌いだったよねって言ってた。

初めて怪我らしい怪我をしたのもこの頃。後にも先にも野球以外の怪我ってこれだけじゃないかなぁ?


ちなみにその怪我をしたのは体育の授業のポートボール中。

学校から電話がかかってきて、病院に行ったのを覚えている。

学校の先生は捻挫だと思いますよ〜って言ってたけど実際は折れていた。(というか骨が潰れてた)

あまりにも平常心で痛がったり辛そうな表情もしてなかったからだと思う。

身体が強かったから平気だったのかな??

お母さんは不謹慎にもちょっと嬉しかったんだよねぇ…初の男の子らしい出来事で(笑) 

話を聞いて

答えのある問を解くのが好きで、答えのない問を解くのが苦手。

まさに今の自分を見てるみたい。

幼い頃の自分ってなかなか変わらないですよね。

できれば答えのない問を解くのが得意になりたいなぁ。

最後に

野球にゲーム、そして告白。

ちゃっかりエンジョイしてたなぁ。

小学生の頃って本当に楽しい思い出ばかりで、嫌な事がほぼ思い出せないんですよね。

そしてその楽しかった頃の記憶は、今の自分の中にも確実に残っている。


人生って面白いなぁ。



では、10歳の自分史の振り返りはここまでにしたいと思います!


もしよろしければ、各種SNSも見て頂けると嬉しいです😆
主にオランダに関すること、教育に関すること、起業に関することを投稿しております!


Twitterアカウント:@knocku_datep

Instagramアカウント:@knocku_datep



ではまた!

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事