
今回から、イップスを患うきっかけになった直接的な出来事について話していきます。
当時の事を今こうして振り返ってみると、本当に最悪の選択ばかりしていたんだなと思います。
まさに地獄ですね。
しかし良くも悪くも今の自分があるのは当時の経験があってこそなので、この振り返りを通じながら少しずつ、自分の事を受け入れてあげられたらなと思います。
では、ここから本編に入ります。
接骨院
前回の記事では、三角筋を損傷してボールが投げられなくなり、監督からオススメの接骨院を紹介された所までお話ししました。
今回はその続きからになります。
怪我を監督に打ち明けたのち、私は監督に紹介された接骨院に通い始めます。
接骨院の院長と監督は顔馴染みだったらしく、夏大前には多くの部員がマッサージなどを受けに通っており、練習にもたまに顔を出していました。
私はこの接骨院の先生らと共に、リハビリを始めることになります。
接骨院に行く際には部活を途中で切り上げる必要があった為、当初は
リハビリ=サボり
だと周りから思われているのが本当に嫌で、できれば接骨院に行きたくないと思っていました。
しかし途中から、接骨院に通うと嫌な部活から逃げられると感じ始め、積極的に接骨院に通うことになります。
大好きだった野球もできず、学校生活では先輩に怯え、グラウンドでは先輩や同級生から白い目で見られているような気がして本当に苦痛だった自分にとって、唯一のオアシスが接骨院だったのです。
そう、この時私の中に「逃げ癖」という最悪な性格が身に付いたのです。
この逃げ癖は今でこそそこまで表向きに出ていませんが、当時は酷いものでした。
怖いもの、嫌なものから目を背け続ける。
それを続けていった結果身に付いてしまったもの、それが「逃げ癖」です。
これは、今でも自分の心の奥底に眠っている性格の1つになっています。
今思えば、おそらく周りの先輩達からはあまりよく思われていなかったと思います。(そしてこの経験がさらに面倒な事を引き起こすきっかけになります。)
本当に当時は、毎日自己嫌悪が止まらずに苦しい思いをしていました。
この時はまだ死にたいとまで思わなかったものの、後にこの症状はさらにエスカレートしていきます。
学校での出来事
話は急に変わりますが、怪我をした後に学校で行われたクラス担任との2者面談で、私の人生は大きく変わることになります、
当時、私の学校は①〜④のグループに分かれており、それぞれ
①国立受験ガチ勢のクラス(ほぼ勉強のみ)
②早慶受験ガチ勢のクラス(勉強8:部活2くらい)
③GMARCH目指す勢のクラス(勉強2:部活8くらい)
④部活ガチ勢のクラス(ほぼ部活のみ)
といったバランスになっていました。
野球部の多くの学生は④に所属していたのですが、勉強も頑張りたく、加えて理科の教員免許を取りたかった私は③を選びました。(ちなみに、強化部の生徒は③か④のクラスにしか原則入る事ができず、理系に進むには③しか選択肢はありませんでした。)
先ほどお話した逃げ癖の話や、野球部から感じる白い目といった感覚も、③のクラスを選んだ事が少なからず影響してきます。(この話は後ほど)
③で同じクラスメートになった野球部員は私を抜いて2人で、その2人が野球も勉強もできるハイスペックマンだったのです。(学芸大付属からきた強者です...)
こんな強者たちと同じクラスだったこともあり、二者面談の際には
「お前、野球も勉強もあいつらに負けてるね。多分お前、一生あいつらに勝てないよ。」
こんな強烈な一言を担任の先生から言われたのです。
今思えば、当時の先生は僕を思って言ってくれたのかもしれません(教育実習に行った際、当時は全くそんな事を考えていなかったという事実が発覚しますが...)
この一言をきっかけに、私の心に火がつきます。
そうです、これを機に、小達は勉強マシーンへと変貌を遂げるのです。
小・中と全く勉強してこなかったものの、そろばんで身に付いた持ち前の集中力があった私は短期的な集中力、そして記憶力には絶対的な自信がありました。
また、テスト前には1週間のテスト休み期間という、部活も完全にオフになる期間があったので、その期間だけを利用して必死に勉強しました。(平日は接骨院の日以外、毎日夜中の23時近くまでグラウンドにいた為、勉強がほぼできませんでした...)
この成果もあり、2回目の定期テストでは学年2位の成績になり、3回目の定期テストでは遂に学年1位の成績が取れるようになったのです。尚、高校卒業まで学校の定期テストでは常に1位の成績を取り続け、大学入学後も1年生から4年生まで成績は常に1位でした。
この頃から私の中に「負けず嫌い」「他人を蹴落とす」ような性格が芽生え始めます。
これも怪我をする前の自分には考えられなかったような性格で、私はこの性格を本当に元に戻したいと強く願っています。
といったように、野球の怪我は他の面でも様々な影響を及ぼしていたのです。
最後に
次回からは、野球ができなくなったことによって引き起こされた、嫌な思い出について振り返っていきたいと思います。
ここから、私の性格は大きく変わり始めます。
怪我をする前にはあり得なかったような性格が、段々と顔を出してくるのです。
よく「環境は人を変える」と言いますが、まさにそれです。
当時の野球部という環境は、私の性格を大きく歪める1つの原因になりました。
もちろんこれだけではありませんが、当時は「本当に苦しかった」の一言に尽きます。
次回もお楽しみに。
では、本記事はここまでにします。
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