
前回の記事では、接骨院に通い始め「逃げ癖」がついた事。
そして、担任の先生から煽られた事によって勉強にコミットし、「負けず嫌い」「他人を蹴落としてでも這い上がろう」という性格が出てきたという事をお話ししました。
今回は、接骨院に通い始め、数ヶ月経った後の出来事をお話ししていきます。
では、ここから本編に入ります。
止まらぬ後悔
今思えばおかしな話なんですが、接骨院に通い始めたのが5月の中旬。
そこから1ヶ月近く、怪我は一向に治る気配をみせませんでした。
接骨院の院長先生は
「炎症はもう治っているはずだから、他の部位が影響しているのかもしれない」
と、直接怪我している部位とは関係のない、背中や下半身の施術も行うようになりました。
そして更に、
「ボールを投げないと投げ方を忘れてしまうから、少しずつボールを投げる練習を再開しよう」
と、6月の下旬からボールを投げる練習を再開しました。
これが最悪の結果をもたらす事になります。
実はこの時、私の肩は炎症どころの騒ぎではなく、損傷していたのです。
そんな状態で患部をマッサージしたり、電気を流したり、ボールを投げ始めたりしたものですから、私の肩も治るはずがありませんでした。
また、ここでキャッチボールを再開した事により、遂にイップスという名の地獄の扉が開き始めます。
地獄の入口
院長先生からゴーサインの出た私は、早速キャッチボールを再開しました。
入念にアップを行い、接骨院から教わったストレッチも勿論しっかり行いました。
そしていよいよ、至近距離でのキャッチボールを始めました。
至近距離でのキャッチボールは、不思議な事に全く痛みを感じませんでした。
しかし 10 [m] 以上の距離でボールを投げようとすると、肩に痛みが走るのです。
この状態でも、院長先生は少しの痛みなら続けた方が良い言うので、私はキャッチボールを続けました。(塁間以上になると、激痛により耐えられなくなったのでMax 20 [m]程の距離でキャッチボールを行いました。)
そう、この経験がイップスへの序章となります。
この時、私の三角筋は損傷していました。
以前の記事でも説明しましたが、三角筋はボールを投げる際に必須となる筋肉であり、ここが損傷した状態では通常ボールを投げる事はできません。
その状態で、私はボールを投げ続けたのです。
三角筋を庇った状態でボールを投げ続けた事により、私のピッチングフォーム(ボールを投げる動作の事)は完全に崩壊します。
そう、痛みを庇った投げ方が身体に染み込んでいったのです。
また、痛みを感じた状態で投球動作を繰り返した事により、
「ボールを投げる=痛みを感じる行為=怖い」
という指令が脳内に刷り込まれて行く事になります。
取り除こうと思っても取り除く事のできない、憎き指令が脳内にへばりついてしまったのです。
最後に
ここまでが、イップス至った背景の序章になります。
次回からは、イップスが深刻化していった背景などについて、お話ししていく予定です。
次回もお楽しみに。
では、本記事はここまでにします。
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ではまた!