【イップス】という名の地獄-vol.7

前回の記事では、野球ができなくなったことによって生じた様々な弊害についてお話ししました。


当時は身体だけでなく、精神的にも病みまくっていました。


しかしこの経験があったからこそ、今では人に優しくするという強い気持ちが芽生えているのだと思います。


今回はそれらの背景も踏まえながら、今でも後悔が拭えない当時の出来事についてお話ししていきます。


では、ここから本編に入ります。

復活?

練習をしていたある日の事です。


同学年で肘の怪我をしている友人(以後O君)と一緒にストレッチをしていた私は、いつものように肩周りのストレッチをしていました。


本当なら良くないのですが、このストレッチは激痛を伴うもので、それでも我慢しながら続けていました。


しかしその日は不思議なことに、肩の痛みを感じなかったのです。


「あれ、今なら投げられるのでは?」


そう直感的に思い込んだ私は、O君とキャッチボールをする事にしました。


いざキャッチボールを初めてみると、不思議と痛みは感じず、普段脳裏にチラついていた「恐怖」の2文字が完全になくなっていたのです。

まさかのピッチング

その後も引き続きキャッチボールを続けていると、遠くから監督が近づいてくるのが目に入りました。


そしてキャッチボールが終わると、監督は私に「肩の調子はどうだ?」と尋ねてきました。


そこで私は「もしかすると治っているかもしれません」と、余計な一言を言ってしまったのです。



その後監督は私に「ブルペンでピッチングをしてみないか?」と提案してきました。
きっと監督は、特待生で入学した私に期待していたのでしょう。(自分で言うのもあれですが...)


私はその期待に背きたくないという思いから、「投げます」と言ってしまったのです。


これが今後1年以上、まともにボールを投げる事ができなくなる原因になるとも知らずに。



普通、怪我が治って直ぐにピッチングなんて事はあり得ません。

なぜならピッチングは肩にかかる負担が大きく、入念なステップを踏んでからでないと、怪我が再発する可能性が非常に高いからです。


そんなことも意識せず、私はピッチング練習を始める事になります。

そう、これが高校1年生最後のピッチングとなるのです。
(ちなみにこれは、1年生の8月の頃の出来事です。)

最後に

当時のことを思い出すと、なぜこの時に監督はピッチング練習を提案してきたのか、そしてなぜ私はそれを快諾してしまったのか、本当に後悔しか生まれてきません。


ピッチングフォームを変える事を快諾した事、そして今回のピッチング練習を快諾した事。

監督を信用した上でとった行動が、全て裏目にでているのです。


この頃から私は、人を信用できなくなってきます。


次回の記事では、ピッチング練習後に起きた更なる悲劇を交えながらお話ししていきます。


お楽しみに。


では、本記事はここまでにします。


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