【イップス】という名の地獄-vol.13

前回の記事では、試合翌日の出来事についてお話ししました。

今でも、怪我の責任は監督にあったと決めつけてしまう自分がいます。

ただ、それではいつまで経っても前には進めません。

少しずつ、当時の自分を受け入れていきたいと思います。


今回の記事では、怪我の再発で生じた変化についてお話ししていきます。


では、ここから本編に入ります。

友情って、難しい

同じ部位を怪我し、私は再び失意のドン底に突き落とされました。


夏休みの序盤に怪我をした為、試合などの遠征やAチームの夏合宿などには連れて行ってもらうこともできず、居残り組としてグラウンドで練習していました。


この時に学んだのですが、人は共に過ごす時間が長いとその分友情が深まります。また、同じ境遇にいるような人とはものすごく仲良くなります。(当たり前のことなんですけどね。)


居残り組の奴らとは仲良くなり(特に怪我組)、合宿組とは少し距離が生まれる。

さらに、AチームとBチームの間には謎の上下関係のような空気が生まれる。(これは実際にこういう経験をした事がある人でないと分からないと思います。)


そして更に、Aチーム組は先輩達とどんどん仲が良くなり、ご飯や飲み物を奢ってもらえる頻度も増える。


同じ野球部のはずなのに、いつからこのような関係になってしまったのか。


当時のこの経験は、今の私を築き上げる上でとても大きなシコリとして残っています。

親にあたる

二度目の怪我ということもあり、私は自暴自棄に走っていました。

暴飲暴食はもちろんのこと(栄養など気にしていなかった)、夜遅くまで起きていたり、ゲームに逃げたりと、とにかく野球から逃げたいとしか考えていませんでした。


その矛先が時に両親の方へと向くこともあり、私はかなり酷い態度で両親と接していました。


しかしそれでも両親は、横暴な態度で接する私を怒る事なく、いつも優しく接してくれました。


具体的な出来事はこれで1記事書けてしまうレベルなので、ここでは割愛させて頂きますが、両親は本当に多くのサポートをしてくれました。


その恩を早く返したいというのが切実な願いです。

最後に

スポーツをしていると、謎の上下関係に悩まされる事が多々あります。


当時の私は何も結果を残せていなかったので文句は言えませんが、このような風潮は今後少なくとも私の周りではなくしていきたいです。

当時悔しかった、苦しかった事を、他の人には味わって欲しくないのです。


次回の記事では、この続きのお話をしていきます。


お楽しみに。


では、本記事はここまでにします。


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