
先日、200日以上連続で投稿していたブログの更新をお休みしました。
2020年1月1日に「毎日ブログを投稿し続ける」と目標を高らかに掲げたので、途中で連続更新を止める事には物凄い抵抗感がありました。
自分自身、長く続けてきたものを自分の意思で止める決断をしたのは久しぶりであったため、今回はそれら気持ちの移り変わりについてメモしていきたいと思います。
連続更新終了前
連続更新終了前、「ここまで頑張って続けてきた事を止めてしまっても良いのだろうか」という気持ちが何度も込み上げてきました。
皆さんもそういった経験をされた事が多かれ少なかれあると思います。
続けてきた事を突然パッと止めるのって、想像以上に自分自身との辛い格闘がありますし、何よりここまできたんだからどうせなら最後まで続けようという気持ちが芽生えてきますよね。
それと同じような気持ちを、連続更新終了直前までずっと抱いていました。
今からでも書けばまだ間に合う。まだ続けられる。
そんな思いを抱えながら、床に就いたのでありました。
連続更新終了後
意外となんともなかった!
というのが正直な感想です(笑)
今までブログを書くのに使っていた30~60分を他の時間に使えると思うと、人生に余白ができたような気がして、なんだか今までよりも独創性が増したような気分になります!
趣味と言いながらも、続ける事を意識しながらブログを書いていた私にとって、どこか心の中では「見えない拘束感」があったのかもしれません。
その見えない拘束感から解放された事は、私の独創性を大いに掻き立てました。
勿論その見えない拘束感の元、若干のストレスを与えながら自分自身を見つめ直してみたり、訓練する事はとても意味のある事ですし、やっていて無駄ではないです。
しかしその経験を踏まえた上で拘束感から解放されると、今までの数倍、いや数十倍は独創的なアイデアや行動ができるようになる(気がします)!
実際昨日今日と書き綴ったメモ帳には、今まで出てこなかったようなアイデアも出てきているので、少しは効果があると思います^^
時間という対価を支払うからには、それ相応の何かを得られたら良いですよね!
最後に
鋼の錬金術師の名言を拝借すると、「何かを得るためには同等の対価を支払わなければならない。それは時に、何かを得るためには何かを失うという事でもある。」
今回ブログの連続更新を止めたのも「他に何かを得たいから止めたのだ」と捉える事で、割とすんなりと変化を受容する事ができました。
今まで続けてきた事を止める、新しい事を始めるのは精神的に辛い部分もあるかもしれませんが、その変化を受容し、対応できる人間になれればと思います。
時間という代価を支払う事で得られる物は人それぞれかと思いますが、少しでも自分にとって納得のいく物が得られるようにこれからも精進していきたいと思います^^
では、本記事はここまでになります!
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