【自分史】9歳編

今回は9歳の頃を振り返ります!

9歳といえば小学3年生。

3年2組での運動会や、6年生を送る会でのダンスなど、何かと学校行事でのイベントが記憶に残っています。

加えてこの頃から、放課後の遊ぶ内容にも変化が見られてきました。

9歳

「野球との出会い」

これが1番の出来事でした。

野球にハマる。

1.2年生の頃にもボールを投げる事が大好きでしたが、3年生になると休み時間の遊びはほぼ野球になっていました。

校庭に靴で線を引き、20分休みとお昼休みには必ず野球で遊んでいました。ただバットは使えなかった為(高学年の子しか使えないのです)、基本的には手打ち野球で、たまに木の棒を使って野球をしていました。


肩が強くわりかし体も強い方で、当時は身長も高い部類だった為、かなり野球は得意でした。

その為、野球が段々と好きになり、放課後も学校から家に帰宅した後は、近くの公園やグラウンドで夕方の17時まで野球をしていました(そろばんとの兼ね合いもありましたが、基本的にそろばんのない日は必ず野球をし、そろばんがある日もギリギリまで野球で遊んでいました)。


本当にボールを投げることが大好きで、打つよりもずっとボールを投げていた気がします。


そんなこともあってか、ソフトボール投げと握力では学年トップの成績を取れるようになり、より一層野球にのめり込んで行きました(野球のクラブチームには通っていません。)。


休みの日も、父や祖父とキャッチボールをしていた事を今でも鮮明に覚えています。

身の周りでの出来事

ものすごく鮮明に覚えている事として、運動会が楽しかった事、6年生を送る会で何かのダンスを踊ったことが記憶にあります。

野球を始めてから友達がかなり増えたこともあり、全体的に学校での出来事の印象が強いです。


家族との印象としては、どこか田舎の地域に車で家族旅行に行った記憶があります(確か当時はオルティアだったはず)。

今でも覚えているのですが、家族で出掛けると必ず揉め事が生じ(家から出たくない、めんどくさいなど)、毎回毎回大変な思いをしていた記憶があります。

そんなこともあってか、家族で遠出した際の記憶がそこまで鮮明に残っていません。ただ、マザー牧場に行った時の記憶や、ホテルの部屋が何故かグレードアップされた時の記憶は鮮明に覚えているんですよね。

不思議です。


家族旅行で感じたのは、パーキングエリアでのワクワクが強かったこと、そして旅行先から帰る際のあの寂しさが嫌だったことです。ここにもう二度と来れないかと思うと、不思議と家に帰ることに抵抗を覚えました。今でもそうですが、遠出先から帰るのって嫌ですよね。


加えて今になって思い出しましたが、小学1年生の時に、父の運転で友達と公園に行った際、走行中に友達が急に車のドアを開けて驚いた件があって以降、車に乗る際には何故か後部座席に座るようになりました。


その他には当時、地獄というものを恐れていて、祖父の家に泊まった際に泣きながら祖父と話していた記憶があります(確か夏の夜、祖父と一緒にカブトムシが捕まえられる木のところまで行き、そこで泣くくらい反省しているならお前が地獄に行くはずなんかない。などと言われた記憶があります)。


その他にも当時は、暇さえあれば父とキャッチボール(スポーツ用品店に行くのは大嫌いだった)をしたり、プロ野球の試合を母と観戦しに行ったりしました。

好きだった事

野球も好きでしたが、それ以外には確かこの年に発売されたポケットモンスターダイヤモンド・パールにどはまりしました。

この世代の方達ならみんな通じるはずです。本当に神作で、私は楽しさのあまりダイヤモンドとパール両方を購入しました(御三家ポケモンを揃える為に、リセット用として2つ購入。ちなみに初めはパールの方をプレイしていました)。

しかし、実はダイヤモンドは購入後、カセット本体を無くしてしまったのです...(ずっとソファーの下にあったのを後に見つけることになります)。当時は悔しかったなぁ。


ちなみに、裏技(なみのり+探検セットバグ)を使ってDS本体が固まるミスをよくしていた為、トイザラスのゲームコーナーにはよくお世話になりました笑(このコーナーで直してもらえるのです!)

ポケモン、好きだったなぁ。


ポケモン以外にはなんといっても、誰もが知っている普及の名作「パワプロクンポケット9」をプレイしていました。

サクセスでブギウギ商店街やりまくってたなぁ。

ちなみに当時の私の育成方針は「パワーF、弾道2、走力A、パワーヒッター、それ以外は可能な限り上げる」戦法でした。

何故かというと、パワーFだと必ずCPが外野前進にするんですよね。そこでパワーヒッター走力Aの打者が来ると、確実にランニングホームランが取れるわけなんですよ。

ちなみに私はこの選手を作成後、ペナント編もプレーし、2年間でのHR数がエグいことになりました。

パワプロ君も好きだったなぁ。


といった感じでゲームにハマったこともあり、野球か、友達の家でゲームをするかという2パターンで毎日遊んでいました。


コロコロコミックも当時の愛読書として嗜んでおり、毎月の楽しみでした。時にはファミ通の雑誌を買ったりして、ゲーム情報を集めたりもしてたなぁ。

本当懐かしい。


確か当時のお小遣いは1,500円+お手伝い1回50円とかだったような、記憶は曖昧ですが、とにかく少ないお金の中でやりくりし、困ったら「ばあちゃーん!」と助けを呼んでいたような気がします笑


他にも、そろばんの試験を受けることが好きだったのを覚えています。

理由は2つあって、

1つ目は、段々と級が上がっていくのが楽しかったこと(ちなみに試験には一回も落ちたことがありませんでした。おそらくこの時の失敗しなかった経験が、今の自分の中で大きなネックになっているのだと思います。この話は別の機会で)。

2つ目は、そろばんの試験後にゲーセンで遊べたこと(試験会場まで父親が車で送ってくれ、その帰りには家の近くのゲーセンに寄り、バッティングセンターで遊んだり、コインゲームで遊んだりしていました)。


です。


特にゲーセンが私に与えた影響は大きく、一発当てた時の面白さとその怖さ、そしてゲームの楽しさを覚えました。ちなみに、このコインゲームでの学びが一種の教訓になり、今ではギャンブルに全く興味を持っていません(パチンコやスロットや競馬は、やるとしてもコインゲームでやるくらいです)。


全体的に「野球」と「ゲーム」の楽しさを覚えた1年間でした。

嫌いだった事

スポーツ用品店に行くこと。

これが本当に嫌でした。

スポーツ用品店に限らず、買い物に行くこと自体あまり好きではないのですが、当時は本当にスポーツ用品店に行くことが嫌でした。買い物をしている時の匂いや、色んなお客さんに見られているような視線、そしてなんといっても服や靴を試着している瞬間が1番嫌でした。

「なんでも良いから早くここから出たい。」これだけをずっと考えていた気がします。


また、当時は食わず嫌いが多く、嫌いな食べ物の数が尋常ではありませんでした。

今でも嫌いなものはありますが、当時はその数が桁外れに多かった事を覚えています。ちなみに野菜はきゅうりとトマト、そしてマヨネーズたっぷりのキャベツのみじん切り以外、食べれませんでした✌︎('ω'✌︎ )

それくらい野菜が嫌いでした。

母親談

3年生の頃って一番記憶が薄い。

相変わらず身体が大きく、交友関係も広がらずにいつも決まった子とだけ遊んでいたと思う。

自分の意思や気持ちを言葉に出して伝えることがまだまだ苦手で、良い意味で、もっと男の子っぽくなって欲しいなぁと思っていた。

友達から言われた何気ない言葉とかにとても敏感で傷つきやすく、それを人に言えない所もあったなぁ。


あと、この頃から私に似てしまったせいで、早口だった。

3年生の後半にI君(親友)と仲良くなって(I君とは2年生の時も同じクラスだったけど、特に仲良いわけではなかった)、やっと『仲の良い友達』ってのが出来て、少しずつ本人らしい部分が出始めていた。

今思うと2人は、似た雰囲気を持っていたよね。

話を聞いて

「早口!」

思い出した!自分当時からめちゃくちゃ早口だった!

今もそうですが、とにかく早口で何を言ってるのか分からないと言われる事が多々ありました。

これは私のせいではなく、遺伝子のせいなんですね。

最後に

「野球」と「ゲーム」

今の私を構成する上でも欠かせない2つの要素にのめり込み始めた時期が、9歳でした。

野球とゲームは今でも大好きなので、この2つに幼い頃から触れられた事は、私の大きな財産になっています。


ではまた!

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